男たちの慌てぶりと、拘束されている女の子の様子から察したのであろう。クーカと名乗る少女は男たちのくだらない企みに気付いたようだ。
「おめえに関係無いと言ってるだろうがっ!」
大声をだしているが時々引っくり返っている。普通の女の子ならば見知らぬ男の集団には警戒心を持つものだ。ところが、目の前の少女は動じる気配すら無い。
その不気味さに異質さを感じ取っているのだろう。
「群れの中なら安心出来るの?」
そんな事を言いながらクーカは一歩進み出て来た。
「……」
妙な質問をする少女に、男たちは黙りお互いに視線を交わしていた。この異様な存在に戸惑っているようだ。
「それとも強くなったような気がするの?」
黙っている男たちにクーカはまた一歩足を進めた。
「……」
すると男たちは腰のポケットから折り畳みナイフを取り出した。クーカの外見から虚勢が通じると舐めてかかっているようだった。
「自分が弱いと認めるのが嫌なのね……」
男たちが取り出したナイフを気にする素振りも見せずため息交じりに呟いた。
「ぶっ殺してやる……」
男たちの誰かが呟いた。右側に金髪、左側に水色のジャンパーの男。囲んで脅せばどうにかなると考えたらしい。
するとクーカの外套の裾から何かキラリと光る物が顔を覗かせた。ナイフだ。しかも大きいサイズのようだ。 そう、クーカはククリナイフを取り出したのだ。 だが、それは普通のナイフと違っていた。全体が『く』の字に曲がっている独特の形状を持ったナイフだ。振り回した時に遠心力が働き、僅かな力で相手を切り裂く事が出来る。近接戦闘で絶大な威力を発揮するナイフと言われている。 クーカが近接戦闘で好んで使うもののようだ。「そんな軟な男に用は無いわ……」
黒い影がすっと動いた。
「あぐっ!」
次の瞬間には右隣りの男が腕を抱えてうずくまった。彼が持っていたナイフは腕ごと切り落とされていたのだ。
クーカはすぐさま身体を低く落とすと、左隣の男のアキレス腱を切った。腕は関節を狙えば切り落とせるが、足はそうは巧く切れ無いからだ。 そのまま続けざまに右の男のアキレス腱を切っていた。「ぐわっ!」
「ああああああああ!」男二人は激痛のあまり絶叫しながらのた打ち回っている。
クーカはそんな事には目もくれずに体制を立て直してリーダーの男の前に立った。「くそっ!」
リーダーの男は拘束してきた少女をクーカの方に押しやった。怯んだ隙に攻撃をする腹だ。
しかし、クーカは少女を受け留める事も無く脇に躱して突進して来た。 彼女は別に正義の味方では無い。自分に向かって来る脅威を排除するのが先と判断しているのだ。「きゃっ」
急に放り出された少女は、拘束されている為、短い悲鳴をあげて倒れ込んだ。
「やろうっ!」
リーダーの男は自分のナイフを突き出そうとしたが間に合わない。既に目の前にクーカの顔があった。しかし、瞬きした時には既に無く。代わりに両足に激痛が走っていた。
「ぐあっ!」
リーダーの男は倒れ込んでしまった。そして、切られた足を掴もうとして右手が無い事に気が付いたのだった。
ここまで掛かった時間は、僅かに十秒程度。「……少し時間を掛け過ぎたわね」
クーカはそんな事を呟いていた。
これで男たちは全員が足のアキレス腱を切られている。殺すほどの脅威は無いと判断したのであろう。人間はアキレス腱を切られてしまうと動けなくなってしまうものだからだ。「くっそぉ…… 覚えてやがれ、今度会ったら必ずぶっ殺すからな……」
リーダーの男は出血を手で押さえるかのようにして足を抱えてながら唸っていた。何処までも負けん気の強い男だった。
「そんな根性があるのなら…… 次はちゃんと殺してあげるわ……」 クーカはリーダーの男に微笑んだ口元で答えた。しかし、微笑みかけられた男は俯いてしまった。 やっと、格の違いに気が付いたのだ。 その様子を見たクーカは戦意は無くなったものと判断したらしい。拘束された少女の元にやってきて助け起こした。「今、自由にしてあげる…… でも、目を開けないで数を十程数えてね?」 クーカは少女にそう呟きながら、拘束されている娘のロープをナイフで切ってあげた。「……」 少女は黙って何度も頷いた。「……きゅう……じゅう」 十を数え終えた少女が目を開けるとそこら中に腕や足を散らかした誘拐犯が転がっていた。もちろん、自分を助けてくれた少女の姿は何処にも無かった。 少女は血塗れになった工場から素足のままで逃げ出した。「た…… 助けて……」 そこを通りがかったタクシーの運転手に保護されて、警察が呼ばれたのであった。「男の…… 被害者から証言は取れたのか?」 刑事たちは幾つかの血痕後を検分しながら聞いた。「男たちの方は出血が激しく重体の為、まだ証言は取れていません」 手帳に書かれたメモ書きを見ながら、ひとりの刑事が答えていた。「女の子の方は、帰宅途中にいきなり車に連れ込まれたと証言してます」 救急車で病院に連れていかれる最中に簡単な尋問を受けていた。「最近、ここいらで発生している連続婦女暴行グループのやり口に似てますね」「しかし、連中は鋭利な刃物で切り刻まれている……と、やったのは誰なんだ?」「被害者の女の子は一緒に居たんだろ?」「声とか聞いていたんじゃないか?」 工場内にいる刑事たちは口々に疑問を口にしていた。「いいえ、彼女は男たちを襲撃した人物への質問となると固く口を閉ざしてしまいます」 少女への聞き取りをしていた婦人警官は答えた。「自分は目を瞑っていたので、何も覚えていない……その一点張りですね」 婦人警官はため息を付いた。「庇っているんだろうなあ……」「はあ。 まあ、自分を助けてくれた恩人ですからね……」 恐らくは満足な証言が取れそうに無さそうだ。未成年なので無理な尋問も出来ない。状況から見ても彼女の被害を未然に防いでくれたのは確かだ。「工場の防犯カメラはどうだ?」 刑事の一人が壁際にあるカメラを指差しながら言った。「駄目で
保安室の事務所。 その事務所は都内の雑居ビルに設けられていた。 名目上は公安警察の組織だが、内閣府の国家公安委員会から直接命令を受けて動く。 正式名称は国家保障安全室だ。 もっとも、公安警察内部でも島流し部署と言われる事が多く、所属する人物も一癖も二癖もある者ばかりだった。 保安室には室長の田上哲也(たのうえてつや)をトップにして全部で八名の人間がいる。 ボンヤリとした部署名から分かる通り、元に居た組織からはじき出された人物たちが勤務している。元の組織では色々とやらかしているので扱いにくい、かと言って世間に放して好き勝手やられても困るので宛がわれているのだろう。 ここでは、日本の安全保障に対しての脅威となる人物団体などの情報収集が主な任務の部署だ。 よその国ではCIAを始めとする諜報機関が担うべき任務だが、何故か日本には存在していない事になっている。そこで公安警察や保安室が業務に当たっているような感じだ。 その活動内容から目立った建物では色々と不味く。マスコミの目を避けるためにも雑居ビルが使われていた。 事務所自体はビルのワンフロアを借り切っているので人数の割に大きい部類だ。 片側の壁にはびっしりと大型ディスプレイが設置され、要注意人物とマークされた者の行動が表示されていた。 その保安室の構成員である先島は古参に属する部類だ。 先島は百ノ古巌(モモノコイワオ)の手帳を眺めていた。先日水死体で発見された人物だ。「お前は何をしに舞い戻って来たんだ……?」 チョウの電話番号を指先で弾いてから手帳をパタンと畳んだ。他に何か無いかと鞄の中を漁ってみたが空振りだった。(また、武器取引でも始めているのか?) かつての取引に使われていた番号。その番号の移動記録を元に追跡調査を行い、あと一歩の所で取り逃がした経験を思い出していた。(狡猾なアイツが危険を冒すとは思えないんだがな……) それが活性化したという事は、チョウは再び取引を行おうとしているに違いないと踏んでいた。だが、同じ番号を使い意味がわからなかった。監視対象にされているのはチョウも気が付いているはずだ。(それとも何かの罠なのか……) しかし、それが何なのかさっぱり分からない。 先島は室長にチョウの調査を具申していた。組織に属している以上は好き勝手は出来ない。「まず、チョウと同
晴れた日の東京湾。 羽田沖の東京湾で釣りをしていると、頭のすぐ上を旅客機が通り過ぎているような錯覚を覚える。 何しろ発着便数は世界有数の巨大空港だからだ。空港を拡張してみたが需要にはまだまだ追い付かないらしい。 そんな羽田空港の周りは、マンションなどの高層ビル群や工場や倉庫が立ち並んでいる。 その様子から多くの人は、東京湾に無機質な印象を持ってしまう。だが、東京湾に面する羽田の沖合は立派な漁場だった。 昔は都市部から排出される生活用水などで、海が汚染されてしまい魚がいなくなっていた。だが、人々の弛まぬ努力の御陰で、水質の改善が進んでいった。 近年では魚も戻ってきており、江戸前漁師の仕事場として復活しているのだ。「今は魚がいっぱい居るよ。 俺たちにとっちゃあ、東京湾さまさまだよ」 そう言って東京湾で漁を営む漁師たちは笑っていた。 そんなある日、漁師の一人が手慣れた手つきでアナゴの仕掛けを引き上げていた。海からは次々と筒状の仕掛けが上がって来る。 ここ数日の天候は快晴。過ごしやすい日が続いていた。(海も荒れて無かったし、今日は大量になるかもしれんな……) そんな事を考えながら次々と上がって来る仕掛けを眺めていた。照り付ける太陽とささやかな海風が漁師の気分をほぐしいく。 昔はロープに結んだ仕掛けを手作業で引き上げていたが、今は船に設置したモーターでロープを引き上げている。(まったく…… いい時代になったもんだ……) 漁師は漁が終ったら馴染みの店に行って、カラオケでも歌おうかと鼻歌を口ずさみだした。 すると、何個かの仕掛けを上げ終わったところで、引き上げ用のモーターが異音を発し始めた。仕掛け用のロープに多大な荷重がかけられているのだ。「ん?」 漁師は怪訝な顔をした。仕掛け自体は重いものでは無いし、掛かった獲物が大きいと言っても限度がある。 アナゴ以外の物を引っ掛けてしまったのは明白だ。「アチャー。 また粗大ゴミでも引っ掛けてしまったか……」 昨日も小型冷蔵庫を引き上げたばかりだった。「……ったく、ゴミ代くらいケチケチすんなよ……」 今の日本ではゴミを捨てるのにもお金がかかる。少しでも節約したい人はどこかの空き地や川などに投げ込んでしまうのだ。 もちろん、不法行為で非常に迷惑な話だが、他人の迷惑など省みない人はどこにでもいる
水上警察署の遺体安置室。 安置室と言っても病院などにある部屋と違って、倉庫の一角なのかと見間違うような場所だ。地か駐車場の片隅にある倉庫のような場所だった。 そこに若い刑事と見た目くたびれた中年男がやって来た。「これが羽田沖で発見された御遺体ですね?」 男はステンレス製の運搬台の上に乗っていた遺体に手を合わせた。 男の名前は先島秀俊(さきしまひでとし)。先島は公安警察所属の刑事だった。 刑事と言っても一般の警察署に所属する刑事とは違っている。市民生活の治安を守るのが警察なら、国家の安全を守るのが公安の仕事だ。 日本に諜報機関が存在しないため、公安警察がその代行をしているようなものだ。 そして、先島は国家に害する人物の調査などを行う公安所属の刑事だ。「はい、名前は百ノ古巌(モモノコイワオ)五十六歳・男性・独身。 職業は小説家となっています」 若い刑事は担当者だったらしく、手に持ったメモ帳を見ながら答えていた。 最初、水上警察は事件性を疑っていた。だが、多摩川の河口付近に百ノ古のショルダーバックが落ちており、中に入っていた運転免許証から本人と断定出来た。 そして、百ノ古の行動を追いかけてみた所。当日に百ノ古は終始単独で行動しており、事件性が皆無であった事が判明したのだ。 恐らくは誤って川に転落した事故死であろうと警察は結論付けていた。何しろ争った形跡も無く、微量ながらもアルコールが検出された為だった。「本人は社会派作家を気取っていたようです」 担当者は疲れているのかため息が多かった。様々な事件を扱っている部署なので忙しいのであろう。「その方が飲み屋のお姉ちゃんにモテルみたいですからねぇ……」 そんな事をメモ帳を見ながら言っている。行きつけの店にも聞き込みに言っていたようだった。「まあ、実態は掴んだ情報を記事にしない代わりに、調査協力費を脅し取るゴロツキのライターですね」 事件を担当していた刑事はため息をつきながら言った。「それに恐喝や詐欺などで前科があります。 まあ、そこらにいる胡散臭いルポライターの手合いですよ」 どうやら担当者はマスコミを毛嫌いしているらしい。何しろ自分たちの都合でしか報道しないので信用できないのであろう。「今は、群馬県で起きた交通事故を調べていたらしいんですがね……」 先島は年の明けた辺りで起きた自
「気になったので付近の防犯カメラを調べたのですが、被害者は駅前で飲んだ後で一人で帰宅しているんです」 作家の事件当日の足取りは、独りで駅前の立ち飲み屋で飲んだ後、東京と神奈川の県境にかかる橋に向かっている。その様子を防犯カメラが写していた。しこたま飲んだらしく千鳥足であったのも確認済みだ。「鑑識が橋を調べたり、遺体を調べたりしましたが争った形跡が何処にも無かったので事故であろうと……」 橋から転落する様子は写ってはいない。だが、橋の欄干付近に嘔吐物があり、酩酊の末に橋から落下して死亡した物と結論付けたのだった。「そうですか……」 そんな報告を聞き流しながら、先島はチョウの携帯番号を眺めていた。「コイツは北安共和国の工作員でしてね……」 先島は担当刑事にそう告げた。担当刑事も静かに頷いた。「ええ、ひょっとしたら事故に見せかけて殺した……という線もあるかもと疑ったのですが、事故として片付けられてしまったので」 作家の水死と工作員の関連性は不明だ。だが、偶然など信じない先島はチョウの足取りを追う事にした。「今度こそ尻尾を掴んで見せる……」 かつて苦い思いをチョウにさせられた先島はそう呟いた。 先島はチョウの確保まであと一歩と言う所まで追い詰めた事が有る。 その時は覚せい剤の取引現場を抑える予定で乗り込んだ。しかし、警察上層部の裏切り者の密告によりチョウを取り逃がした。そして、現場では罠に嵌められた同僚や部下を失ってしまっているのだ。 余りの怒りに我を忘れた先島は、署内の会議室で裏切り者と対峙した際に相手を射殺してしまった。 その事を咎められた先島は警察に留置されたが、警察内部の手酷い汚点の発覚を恐れた上層部が事件をもみ消した。 釈放された先島は公安警察を追い払われて、国家保安室と言う実態も曖昧な組織に移動させられた。つまり、国家の監視下に置かれているのだ。 先島は捜査の途中で家族を交通事故で失っている。失う者が無い先島にとって、警察や国家の思惑などどうでも良い事だ。 何しろ国家の暗闇を熟知している先島は爆弾のような物だ。自由にさせると何をしでかすか分からない。警察の上層部は身分を刑事のままにして首輪を嵌めらる事にしたのだ。(狂犬でも飼い犬のままの方が使い勝手が良いのか……) それでも先島は公安を離れる気は無かった。同僚や部下の敵を
東京都内にある工場。 工場の入り口に黒い乗用車がやって来た。窓は黒いスモークで塞がれていて中を伺い知る事が出来ない。 車を乱暴に停車させスライドドアが開かれると、中から男二人が女子高生と思われる制服姿の女の子を引きずり下ろした。 女の子は目隠しをされ後ろ手に縛られているようだ。「ここは大丈夫なのか?」 女の子を抱える様に降ろして来た男が尋ねた。 工場の事を言っているらしい。「先週、不渡りを出して差し押さえになっているから誰も居ないんだよ」 運転手がドアを絞めながら答えていた。中途半端な金髪を揺らしながら笑っている。「へへへっ、動画を取って置けば良い小遣い稼ぎになるんだぜ」 車から続いて降りて来た、水色のジャンパーを着た男が薄ら笑いを浮かべながら言っている。「うへへ、今度は先にやらしてくれよな」 女の子を抱える男に言っている。どうやら彼がリーダーのようだ。「お前は直ぐに終わるからダメダメ」 リーダー格の男は首を振りながらダメ出しをしていた。「な、なんだよー」 男たちは下卑た笑いを上げながら工場内に入って来た。 だが、先に工場内に入った金髪の男がいきなり立ち止まっていた。「なんだ?」 リーダーの男が訝しげに尋ねた。「お、おいっ……」 水色のジャンパーを着た男が顎で工場内を示した。ぴちゃん…… 水が落ちる音が聞こえる。明り取りの天井窓から太陽光が差し込んで来ている。薄い靄がかかる空気に差し込む光はスポットライトのようだった。 その強い光芒の中に一人の少女が佇んでいた。「……」 少女は何も言わずに立っている。(女の子……なのか?) リーダーの男がふとそう思った。何故に少女と思ったのか? 小柄な体を黒い外套で包み、その裾元からはすらりとした素足が伸びている。 表情はフードに隠れて見えないが、長い黒髪が襟元から垂れているのが見えていたからだ。「なんだっ! てめぇわっ!」 リーダー格の男が大声を出した。羽交い締めしている女の子はビクッと震えた。 しかし、大声の割にイントネーションが妙だ。急に現れた少女に狼狽しているようだった。「私が誰だろうと貴方たちには関係ないわ……」 その少女は動じることなく答えた。「そうね…… でも、人からはクーカと呼ばれているわね……」 しかし、彼女は何故か名乗って来た。「その
保安室の事務所。 その事務所は都内の雑居ビルに設けられていた。 名目上は公安警察の組織だが、内閣府の国家公安委員会から直接命令を受けて動く。 正式名称は国家保障安全室だ。 もっとも、公安警察内部でも島流し部署と言われる事が多く、所属する人物も一癖も二癖もある者ばかりだった。 保安室には室長の田上哲也(たのうえてつや)をトップにして全部で八名の人間がいる。 ボンヤリとした部署名から分かる通り、元に居た組織からはじき出された人物たちが勤務している。元の組織では色々とやらかしているので扱いにくい、かと言って世間に放して好き勝手やられても困るので宛がわれているのだろう。 ここでは、日本の安全保障に対しての脅威となる人物団体などの情報収集が主な任務の部署だ。 よその国ではCIAを始めとする諜報機関が担うべき任務だが、何故か日本には存在していない事になっている。そこで公安警察や保安室が業務に当たっているような感じだ。 その活動内容から目立った建物では色々と不味く。マスコミの目を避けるためにも雑居ビルが使われていた。 事務所自体はビルのワンフロアを借り切っているので人数の割に大きい部類だ。 片側の壁にはびっしりと大型ディスプレイが設置され、要注意人物とマークされた者の行動が表示されていた。 その保安室の構成員である先島は古参に属する部類だ。 先島は百ノ古巌(モモノコイワオ)の手帳を眺めていた。先日水死体で発見された人物だ。「お前は何をしに舞い戻って来たんだ……?」 チョウの電話番号を指先で弾いてから手帳をパタンと畳んだ。他に何か無いかと鞄の中を漁ってみたが空振りだった。(また、武器取引でも始めているのか?) かつての取引に使われていた番号。その番号の移動記録を元に追跡調査を行い、あと一歩の所で取り逃がした経験を思い出していた。(狡猾なアイツが危険を冒すとは思えないんだがな……) それが活性化したという事は、チョウは再び取引を行おうとしているに違いないと踏んでいた。だが、同じ番号を使い意味がわからなかった。監視対象にされているのはチョウも気が付いているはずだ。(それとも何かの罠なのか……) しかし、それが何なのかさっぱり分からない。 先島は室長にチョウの調査を具申していた。組織に属している以上は好き勝手は出来ない。「まず、チョウと同
「そんな根性があるのなら…… 次はちゃんと殺してあげるわ……」 クーカはリーダーの男に微笑んだ口元で答えた。しかし、微笑みかけられた男は俯いてしまった。 やっと、格の違いに気が付いたのだ。 その様子を見たクーカは戦意は無くなったものと判断したらしい。拘束された少女の元にやってきて助け起こした。「今、自由にしてあげる…… でも、目を開けないで数を十程数えてね?」 クーカは少女にそう呟きながら、拘束されている娘のロープをナイフで切ってあげた。「……」 少女は黙って何度も頷いた。「……きゅう……じゅう」 十を数え終えた少女が目を開けるとそこら中に腕や足を散らかした誘拐犯が転がっていた。もちろん、自分を助けてくれた少女の姿は何処にも無かった。 少女は血塗れになった工場から素足のままで逃げ出した。「た…… 助けて……」 そこを通りがかったタクシーの運転手に保護されて、警察が呼ばれたのであった。「男の…… 被害者から証言は取れたのか?」 刑事たちは幾つかの血痕後を検分しながら聞いた。「男たちの方は出血が激しく重体の為、まだ証言は取れていません」 手帳に書かれたメモ書きを見ながら、ひとりの刑事が答えていた。「女の子の方は、帰宅途中にいきなり車に連れ込まれたと証言してます」 救急車で病院に連れていかれる最中に簡単な尋問を受けていた。「最近、ここいらで発生している連続婦女暴行グループのやり口に似てますね」「しかし、連中は鋭利な刃物で切り刻まれている……と、やったのは誰なんだ?」「被害者の女の子は一緒に居たんだろ?」「声とか聞いていたんじゃないか?」 工場内にいる刑事たちは口々に疑問を口にしていた。「いいえ、彼女は男たちを襲撃した人物への質問となると固く口を閉ざしてしまいます」 少女への聞き取りをしていた婦人警官は答えた。「自分は目を瞑っていたので、何も覚えていない……その一点張りですね」 婦人警官はため息を付いた。「庇っているんだろうなあ……」「はあ。 まあ、自分を助けてくれた恩人ですからね……」 恐らくは満足な証言が取れそうに無さそうだ。未成年なので無理な尋問も出来ない。状況から見ても彼女の被害を未然に防いでくれたのは確かだ。「工場の防犯カメラはどうだ?」 刑事の一人が壁際にあるカメラを指差しながら言った。「駄目で
男たちの慌てぶりと、拘束されている女の子の様子から察したのであろう。クーカと名乗る少女は男たちのくだらない企みに気付いたようだ。「おめえに関係無いと言ってるだろうがっ!」 大声をだしているが時々引っくり返っている。普通の女の子ならば見知らぬ男の集団には警戒心を持つものだ。ところが、目の前の少女は動じる気配すら無い。 その不気味さに異質さを感じ取っているのだろう。「群れの中なら安心出来るの?」 そんな事を言いながらクーカは一歩進み出て来た。「……」 妙な質問をする少女に、男たちは黙りお互いに視線を交わしていた。この異様な存在に戸惑っているようだ。「それとも強くなったような気がするの?」 黙っている男たちにクーカはまた一歩足を進めた。「……」 すると男たちは腰のポケットから折り畳みナイフを取り出した。クーカの外見から虚勢が通じると舐めてかかっているようだった。「自分が弱いと認めるのが嫌なのね……」 男たちが取り出したナイフを気にする素振りも見せずため息交じりに呟いた。「ぶっ殺してやる……」 男たちの誰かが呟いた。右側に金髪、左側に水色のジャンパーの男。囲んで脅せばどうにかなると考えたらしい。 するとクーカの外套の裾から何かキラリと光る物が顔を覗かせた。ナイフだ。しかも大きいサイズのようだ。 そう、クーカはククリナイフを取り出したのだ。 だが、それは普通のナイフと違っていた。全体が『く』の字に曲がっている独特の形状を持ったナイフだ。振り回した時に遠心力が働き、僅かな力で相手を切り裂く事が出来る。近接戦闘で絶大な威力を発揮するナイフと言われている。 クーカが近接戦闘で好んで使うもののようだ。「そんな軟な男に用は無いわ……」 黒い影がすっと動いた。「あぐっ!」 次の瞬間には右隣りの男が腕を抱えてうずくまった。彼が持っていたナイフは腕ごと切り落とされていたのだ。 クーカはすぐさま身体を低く落とすと、左隣の男のアキレス腱を切った。腕は関節を狙えば切り落とせるが、足はそうは巧く切れ無いからだ。 そのまま続けざまに右の男のアキレス腱を切っていた。「ぐわっ!」「ああああああああ!」 男二人は激痛のあまり絶叫しながらのた打ち回っている。 クーカはそんな事には目もくれずに体制を立て直してリーダーの男の前に立った。「くそっ!」
東京都内にある工場。 工場の入り口に黒い乗用車がやって来た。窓は黒いスモークで塞がれていて中を伺い知る事が出来ない。 車を乱暴に停車させスライドドアが開かれると、中から男二人が女子高生と思われる制服姿の女の子を引きずり下ろした。 女の子は目隠しをされ後ろ手に縛られているようだ。「ここは大丈夫なのか?」 女の子を抱える様に降ろして来た男が尋ねた。 工場の事を言っているらしい。「先週、不渡りを出して差し押さえになっているから誰も居ないんだよ」 運転手がドアを絞めながら答えていた。中途半端な金髪を揺らしながら笑っている。「へへへっ、動画を取って置けば良い小遣い稼ぎになるんだぜ」 車から続いて降りて来た、水色のジャンパーを着た男が薄ら笑いを浮かべながら言っている。「うへへ、今度は先にやらしてくれよな」 女の子を抱える男に言っている。どうやら彼がリーダーのようだ。「お前は直ぐに終わるからダメダメ」 リーダー格の男は首を振りながらダメ出しをしていた。「な、なんだよー」 男たちは下卑た笑いを上げながら工場内に入って来た。 だが、先に工場内に入った金髪の男がいきなり立ち止まっていた。「なんだ?」 リーダーの男が訝しげに尋ねた。「お、おいっ……」 水色のジャンパーを着た男が顎で工場内を示した。ぴちゃん…… 水が落ちる音が聞こえる。明り取りの天井窓から太陽光が差し込んで来ている。薄い靄がかかる空気に差し込む光はスポットライトのようだった。 その強い光芒の中に一人の少女が佇んでいた。「……」 少女は何も言わずに立っている。(女の子……なのか?) リーダーの男がふとそう思った。何故に少女と思ったのか? 小柄な体を黒い外套で包み、その裾元からはすらりとした素足が伸びている。 表情はフードに隠れて見えないが、長い黒髪が襟元から垂れているのが見えていたからだ。「なんだっ! てめぇわっ!」 リーダー格の男が大声を出した。羽交い締めしている女の子はビクッと震えた。 しかし、大声の割にイントネーションが妙だ。急に現れた少女に狼狽しているようだった。「私が誰だろうと貴方たちには関係ないわ……」 その少女は動じることなく答えた。「そうね…… でも、人からはクーカと呼ばれているわね……」 しかし、彼女は何故か名乗って来た。「その
「気になったので付近の防犯カメラを調べたのですが、被害者は駅前で飲んだ後で一人で帰宅しているんです」 作家の事件当日の足取りは、独りで駅前の立ち飲み屋で飲んだ後、東京と神奈川の県境にかかる橋に向かっている。その様子を防犯カメラが写していた。しこたま飲んだらしく千鳥足であったのも確認済みだ。「鑑識が橋を調べたり、遺体を調べたりしましたが争った形跡が何処にも無かったので事故であろうと……」 橋から転落する様子は写ってはいない。だが、橋の欄干付近に嘔吐物があり、酩酊の末に橋から落下して死亡した物と結論付けたのだった。「そうですか……」 そんな報告を聞き流しながら、先島はチョウの携帯番号を眺めていた。「コイツは北安共和国の工作員でしてね……」 先島は担当刑事にそう告げた。担当刑事も静かに頷いた。「ええ、ひょっとしたら事故に見せかけて殺した……という線もあるかもと疑ったのですが、事故として片付けられてしまったので」 作家の水死と工作員の関連性は不明だ。だが、偶然など信じない先島はチョウの足取りを追う事にした。「今度こそ尻尾を掴んで見せる……」 かつて苦い思いをチョウにさせられた先島はそう呟いた。 先島はチョウの確保まであと一歩と言う所まで追い詰めた事が有る。 その時は覚せい剤の取引現場を抑える予定で乗り込んだ。しかし、警察上層部の裏切り者の密告によりチョウを取り逃がした。そして、現場では罠に嵌められた同僚や部下を失ってしまっているのだ。 余りの怒りに我を忘れた先島は、署内の会議室で裏切り者と対峙した際に相手を射殺してしまった。 その事を咎められた先島は警察に留置されたが、警察内部の手酷い汚点の発覚を恐れた上層部が事件をもみ消した。 釈放された先島は公安警察を追い払われて、国家保安室と言う実態も曖昧な組織に移動させられた。つまり、国家の監視下に置かれているのだ。 先島は捜査の途中で家族を交通事故で失っている。失う者が無い先島にとって、警察や国家の思惑などどうでも良い事だ。 何しろ国家の暗闇を熟知している先島は爆弾のような物だ。自由にさせると何をしでかすか分からない。警察の上層部は身分を刑事のままにして首輪を嵌めらる事にしたのだ。(狂犬でも飼い犬のままの方が使い勝手が良いのか……) それでも先島は公安を離れる気は無かった。同僚や部下の敵を
水上警察署の遺体安置室。 安置室と言っても病院などにある部屋と違って、倉庫の一角なのかと見間違うような場所だ。地か駐車場の片隅にある倉庫のような場所だった。 そこに若い刑事と見た目くたびれた中年男がやって来た。「これが羽田沖で発見された御遺体ですね?」 男はステンレス製の運搬台の上に乗っていた遺体に手を合わせた。 男の名前は先島秀俊(さきしまひでとし)。先島は公安警察所属の刑事だった。 刑事と言っても一般の警察署に所属する刑事とは違っている。市民生活の治安を守るのが警察なら、国家の安全を守るのが公安の仕事だ。 日本に諜報機関が存在しないため、公安警察がその代行をしているようなものだ。 そして、先島は国家に害する人物の調査などを行う公安所属の刑事だ。「はい、名前は百ノ古巌(モモノコイワオ)五十六歳・男性・独身。 職業は小説家となっています」 若い刑事は担当者だったらしく、手に持ったメモ帳を見ながら答えていた。 最初、水上警察は事件性を疑っていた。だが、多摩川の河口付近に百ノ古のショルダーバックが落ちており、中に入っていた運転免許証から本人と断定出来た。 そして、百ノ古の行動を追いかけてみた所。当日に百ノ古は終始単独で行動しており、事件性が皆無であった事が判明したのだ。 恐らくは誤って川に転落した事故死であろうと警察は結論付けていた。何しろ争った形跡も無く、微量ながらもアルコールが検出された為だった。「本人は社会派作家を気取っていたようです」 担当者は疲れているのかため息が多かった。様々な事件を扱っている部署なので忙しいのであろう。「その方が飲み屋のお姉ちゃんにモテルみたいですからねぇ……」 そんな事をメモ帳を見ながら言っている。行きつけの店にも聞き込みに言っていたようだった。「まあ、実態は掴んだ情報を記事にしない代わりに、調査協力費を脅し取るゴロツキのライターですね」 事件を担当していた刑事はため息をつきながら言った。「それに恐喝や詐欺などで前科があります。 まあ、そこらにいる胡散臭いルポライターの手合いですよ」 どうやら担当者はマスコミを毛嫌いしているらしい。何しろ自分たちの都合でしか報道しないので信用できないのであろう。「今は、群馬県で起きた交通事故を調べていたらしいんですがね……」 先島は年の明けた辺りで起きた自
晴れた日の東京湾。 羽田沖の東京湾で釣りをしていると、頭のすぐ上を旅客機が通り過ぎているような錯覚を覚える。 何しろ発着便数は世界有数の巨大空港だからだ。空港を拡張してみたが需要にはまだまだ追い付かないらしい。 そんな羽田空港の周りは、マンションなどの高層ビル群や工場や倉庫が立ち並んでいる。 その様子から多くの人は、東京湾に無機質な印象を持ってしまう。だが、東京湾に面する羽田の沖合は立派な漁場だった。 昔は都市部から排出される生活用水などで、海が汚染されてしまい魚がいなくなっていた。だが、人々の弛まぬ努力の御陰で、水質の改善が進んでいった。 近年では魚も戻ってきており、江戸前漁師の仕事場として復活しているのだ。「今は魚がいっぱい居るよ。 俺たちにとっちゃあ、東京湾さまさまだよ」 そう言って東京湾で漁を営む漁師たちは笑っていた。 そんなある日、漁師の一人が手慣れた手つきでアナゴの仕掛けを引き上げていた。海からは次々と筒状の仕掛けが上がって来る。 ここ数日の天候は快晴。過ごしやすい日が続いていた。(海も荒れて無かったし、今日は大量になるかもしれんな……) そんな事を考えながら次々と上がって来る仕掛けを眺めていた。照り付ける太陽とささやかな海風が漁師の気分をほぐしいく。 昔はロープに結んだ仕掛けを手作業で引き上げていたが、今は船に設置したモーターでロープを引き上げている。(まったく…… いい時代になったもんだ……) 漁師は漁が終ったら馴染みの店に行って、カラオケでも歌おうかと鼻歌を口ずさみだした。 すると、何個かの仕掛けを上げ終わったところで、引き上げ用のモーターが異音を発し始めた。仕掛け用のロープに多大な荷重がかけられているのだ。「ん?」 漁師は怪訝な顔をした。仕掛け自体は重いものでは無いし、掛かった獲物が大きいと言っても限度がある。 アナゴ以外の物を引っ掛けてしまったのは明白だ。「アチャー。 また粗大ゴミでも引っ掛けてしまったか……」 昨日も小型冷蔵庫を引き上げたばかりだった。「……ったく、ゴミ代くらいケチケチすんなよ……」 今の日本ではゴミを捨てるのにもお金がかかる。少しでも節約したい人はどこかの空き地や川などに投げ込んでしまうのだ。 もちろん、不法行為で非常に迷惑な話だが、他人の迷惑など省みない人はどこにでもいる